まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのかを読み終わりました。
投資家向けの本のような題目ですが,仕事をしている人もしくは仕事をしようとする人ならばおすすめです。
本書において主要なテーマになっているのは,「過去に経験したことと同じようなことが起きたとしても,過去と全く同様にすすむと信じてはいけない」ということ。
たとえば,「A社の株価が毎年5%ずつあがっていた,だから今年も5%あがるだろう」というような予測。将来の事象が過去の事実と全く同一にすすむという保証はよく考えると一切ない。このような考えをもってしまうのは,人間が行動するときの判断方法にあるのだと思う。事実の単純な把握や予測のために,「過去と同じようになる」と思って行動する。もし本当にわからないことを前提とすればどんな行動をとっていいかわからず立ち往生してしまう。
日常生活で必要なこのような「予測」を,そもそも予測困難な事象に当てはめて使ってしまってはいけないし,またそれは非常に危険な賭けなんでしょう。それをわからずに「予測」してしまう,もしくは「予測」できると信じてしまったために「黒い白鳥」がやってきてすべてをぶちこわしにする。
抜き書き
「大胆な考え方をするけれど,同時に自分自身の考え方にも非常に批判的な人たちがいる。自分の考え方が正しいことを示そうとするとき,彼らはまず,ひょっとして自分は間違っているのではないかと考えることから始める。彼らは大胆な考えを持ち,その大胆な考えを否定できないか真剣に考え始めるのである。」
「何をするにしても,世界の何らかの見方に基づいた賭けをしていることになる。でもそのとき,こんな条件を自分でつけるのだ:どんなまれな事象が起きても,そのことでひどい目には合わない形にすること。」
「具体的なことをたくさん集めて一般化する,それが帰納である。そうするととても便利だ。具体的なことの集まりに比べると,一般的なことは私たちの記憶の容量をそれほど食わない。でも,そういう圧縮を行うと,ランダムな部分があまりわからなくなる。」
「ネットワークのつながりが増えれば増えるほど,誰かがアクセスする確率は高まり,いっそうつながりは増える。容量に取り立てて制限がないときはとくにそうだ。(中略)この世には明らかに,物事がまとめて起きる傾向があるけれど,(中略)大事なのは非線形があることを知っていることだ。」
「私たちの脳は非線形を扱うようにはできていない。たとえば二つの変数の間に因果関係がある場合,人は,原因のほうの変数が安定していれば結果のほうの変数も必ず安定しているものだと思う。(中略)でも,現実は厳しく,線形で正の進歩なんてめったにない。(中略)そんな非線形のせいで,人にはまれな事象の性質が理解できない。だから,偶然に頼らなくても成功できる道はあるのに,その道をたどっていくだけの精神的なスタミナを持っている人はめったにいない。他人よりがんばればいいことがある。私の商売でいえば,価格の安い証券を持っていればいいことがあるかもしれないが,何らかの臨界点に達するまで,いいことは起きないかもしれない。ほとんどの人は,そうなる前にあきらめてしまう。」
「正しい理論」はない?
著者は理論に二つの種類があると指摘しています。
・検証が行われ,適切な形で否定されて(反証),間違っていることがすでにわかっている理論。
・まだ反証が成功していないので,間違っているかどうかはわからないけれど,間違っていることが証明される可能性のある理論。
本書で紹介されている事例としては,「黒い白鳥」。
つまり,「これまで発見された白鳥はすべて白かった,ゆえに白鳥は白い」という理論(経験則というべきか)が,黒い白鳥が見つかったことで完全に否定されたということ。
まれな事実や事象であっても,発生すればすべてが否定ないしぶち壊しにされてしまうことを著者は「黒い白鳥」と象徴的に呼ぶようです。
言い換えると,真に正しい理論であれば「すべてにおいて正しい」ことが証明される必要があるということなんでしょう。いわゆる悪魔の証明に近いものが求められるわけですな。
ひとえに理論は観測・判断可能な事象においてのみ正確性が担保されているのみで,それ以上ではない。
よくものを考える人たちもいるけれども,なかには要領がいいが故に知っていることだけですませてしまう人もいる(知っていることがすべて,過去に起きたことと同様に将来も物事が進むと信じてしまって疑わない人たち)ということかもしれません。そこでもう一歩自分の頭で考える必要があるということなんでしょう。
学生の間に読んでもあまりピンとこないかもしれません。
ある程度自分の考えが固まったところで,ちゃんと考えることの大事さを見直すための本だと思います。